【タイ移住464日目~タイ移住470日目】タイの国王

<タイ移住465日目>
この日、タイの象徴であるプミポン国王が死去しました。
70年もの長い間、タイを統率し、国民を支え、揺るがない誇りとして、誰からも愛された続けた国王でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。

peony-800109_1280

<タイ移住466日目>
国王の死去は、私たち「タイで暮らす外国人」にとっても大きな悲しみです。
しかし、人柄や功績など、ネットや雑誌で得られる情報だけで、やたらと知った気になって話すのは少し違うと思います。

いるんだって、そういう人が本当に!!
何を分かってんだよ!ってことを、もっともらしい口調と態度で語る人!!
薄いんだよねー、そういう人の話って。内容が禿げ上がっちゃってんの。どんなに長くタイに住んでもさ、所詮、私たちはタイ人じゃないわけで、そこの線引きを間違えていると聞いているコッチまで恥ずかしくなるっつーの。

タイの人々は、幼い頃から語り継がれて来たのだと思います。
小さい頃からプミポン国王の話を聞いて育ち、それを話して聞かせた父や母は、祖父や祖母から話を聞き、そこには蓄積された感情と歴史があって、さらに新しい情報が加わって、だからこそ深い愛と尊敬が構築されているのでしょう。
大きく蓄積された感情って、ウィキとかグーグルで数時間だけ調べた程度の人には理解できないって、絶対。感情がないもの、ウィキやグーグルには。

もしよ、私が家族を亡くしたとして、少し前に引っ越して来た人とか年に1回しか会わないような親戚に、ぐだぐだ知ったような口を利かれると、故人を偲んでくれる気持ちはありがたいけれど、余計な言葉がイチイチ気に障って「勝手に境界線を跨ぐなよ」と怒鳴り散らしたくなるね。相手はお前のことなんて、何とも思ってなかったんだから!って。

プミポン国王がタイに発展と平和をもたらしたこと、そしてタイの人々から愛され続けたこと、多大な偉業を成し遂げた国王の死は日本でも速報で報道されたこと、それはタイを愛する日本人からも悲しまれたこと、その事実以上のことをベラベラと外で話す気はありません。家の中だったらね、自由に討論なさいよ。とは言え、偉そうに大きな声で喋っているのって、だいたい悲しいことに独身。家の中に話す人がいないからね、気持ちは分かるけれど。

家の中に話す人がいないから外で大声で話してしまうのか、こういうことを外で大声で話してしまう人だから家の中に誰もいないのか、どっちが正解なのかは分かりません。

この日、ふと思いました。
「スーパーとか閉まってんのかな?」
ワタクシごとですが、学生時代にイギリスのオックスフォードに留学をしており、たまたまロンドンに1泊2日で行った日に、ダイアナ妃が亡くなってしまい、ことごとく店が閉まっていた苦い経験がございます。

オンヌットの駅前に関しては、いたって通常通りで閉店しているところはありませんでした。
カフェや飲食店も開いていたし、屋台だって出ていました。しかし、日本の某サイトを拝見すると「休業する店が相次いでいる」と報じられています。
この件に限らず、こういう報道って、いつも一部分だけ、と言うか、変化の大きい部分だけを切り取って伝える傾向が強く、その結果、現実と大きく乖離していることが多々見受けられます。たしかに1日だけ休業した映画館もあれば、お色気系の歓楽街は営業を自粛しているようです。ただ、まるで飲食店や観光地が軒並み閉まっているかのように報じられており、それは実際に住んでいると違う気がすると言うか、観光客も変わらずに過ごしていますし、もちろん配慮は必要でしょうけど、そこまで旅行者にとって不都合な状態とは言えません。

スーパーからアパートに戻ると、部屋の前の廊下を清掃スタッフが掃いていて、私と目が合うと虚ろな表情で近寄り、悲しそうな声で言いました。
「昨日、タイの国王が亡くなった。すごく悲しい」
タイ語なので聞き取れたのはココだけ。他にも長々と喋っていましたが、女性は目に涙を浮かべ、下を向きました。

こういう時、掛ける言葉が見当たらないよねー。
大前提としてタイ語をまともに話せないので、正しく言葉を伝えられないのですが、たとえ流暢に話せたとしても、励ませる自信がありません。

「悲しいね」
そう言って部屋へ戻り、冷蔵庫の中からドラ焼きを取り出します。私に出来ることは、この程度。
「考え過ぎないで」
手にしたドラ焼きを彼女に差し出すと、両手で受け取り、次の瞬間、視線はドラ焼きにロックオン。
「何これ?甘いの?パンケーキ?日本のお菓子?あっ、ドラえもんが食べているお菓子?食べて良い?今、食べて良い?」

少しでも元気になるのなら、今ここで食べなさい。

70年間も国王だったプミポン国王は、ほとんどのタイ人にとって、生まれた時から国王でした。
プミポン国王がいないタイを、多くのタイ人は知りません。社会全体に大きな動揺が広がり、それが政治的な混乱に繋がる不安も懸念されていますが、プミポン国王の願いや心を紡いで、より暮らしやすく、より平和なタイになることを、一人の外国人として願っています。

<タイ移住467日目>
プミポン国王が亡くなってから「黒い服を着て喪に服す人が多い」とは知っていました。
しかし、前の日に駅まで出掛けた際には、あまり大きな変化を感じなかったので、この日も普通に、ちょっと明るめの青い服で出掛けたら、なんとなく、いや、かなり、浮きました。いつも浮いているっちゃ浮いているけれど、なんだろ不謹慎に悪目立ちする感じ。

全員が全員、黒に身を包んでいるわけではないけれど、約8割は黒い服で、残りの2割も白や灰色が多くて、カラフルな色だと、かなり場違い感が拭えません。もともとバンコクは、タクシーもバスも看板もフルーツも、カラフルで鮮やかな色のものが多く、それらの色は何一つ変わっていないのに、そこを歩いている人の洋服が黒に統一されるだけで、目に映る印象は大きく変わりました。バンコクがモノクロに見えたのは初めてです。

明日、学校に黒い服を着て行った方が良いのだろうか?

しかし、家にある洋服を思い浮かべるまでもないほど、ワタクシ原色LOVEの39歳。白や黒、灰色などは持っていません。唯一、黒のバックなら持っているのですが、よりによってイラストがドクロ。これ、リンチされちゃう…。

買うしかねぇ。
絶対に、何があっても絶対に、自分で選ぶことのない無地の黒いTシャツを数枚、灰色のハーフパンツや白のズボン、黒いバックなど数点を購入しました。何度も会計前に引き返しては、ベースは黒だけど緑の星模様になっている服とか、ウサギのロゴが入ったズボンとか、少しだけ自己主張できそうなアイテムに手を伸ばすものの「この期に及んでオレの趣味なんて関係ねーだろ」と、心を改め、かなり地味に仕上げました。

ちなみにタイの人と「日本のブランド」について話すと、かなりの確率で「オニヅカタイガー」が出て来ます。たしかに日本でも有名なブランドですが、真っ先に挙がるほどではないと言うか、どこにでも売っているわけではないと言うか…。
これも、プミポン国王が写真を撮られた際に、オニヅカタイガーの靴を履いており、そこから人気に火が付いたと言われています。親日家としても有名な国王でした。

<タイ移住469日目>
黒い服を着て学校へ行きました。
買っといて正解。電車の中8割くらいよ、黒服率。でも学校の入っているビルへ行くと、黒服率99%(カプ雄調べ)。残り1%は白。ビルのフードコートなんて、斎場の食事処みたいだったからね。

この日だったか、この前日だったか、明るめの服を着て外で食事をしていたタイ人が、あるFacebookユーザーに食事の様子を写真に撮られ、厳しい非難と共に拡散される事態に発展しました。食事をしていた本人が、名乗り出て謝罪と釈明をするなど、どことなく喪に服すことが強要されている雰囲気さえ感じます。でもね、他国の文化に口を出す気は毛頭ありませんので、ノーコメント。どこの国にもネットの中には見せかけの善意で繕った悪意が存在しているようです。

<タイ移住470日目>

この諺(ことわざ)を知っていますか?
「行き大名の帰り乞食」
意味は、読んだまんまです。

タイで、この状態になる日本人は少なくないと言います。とは言っても私の身近には居ません。
「知人の知人に聞いた話なんだけど」とか「友達の友達が言っていたんだけど」とか、肝心の主語が又聞きの又聞きになっているケースでしか耳にしません。でも、こういうのって、決めつけちゃ良くないけれど、だいたい嘘じゃん。その「知人の知人」は、さらに知人の知人から「聞いた話なんだけど…」って教わったんでしょ。なんか、出所が分からない話をする人って、自分の話に信憑性を持たせるために、登場人物との関係性を少し近めに言う傾向にあるから「知人の知人」って聞いた時には、その間に100人くらい「知人の」って言葉が入っていると思って聞き流しています。

この手の話って、時間の無駄じゃん。嫌い。
顔の見えない生産者の野菜は頂きますが、顔の見えない発信者の話は頂きません。

いつも通り話は逸れましたが、この日、一つのニュースが報じられました。
「行き大名の帰り乞食」を遙かに凌ぐニュースです。

「日本人男性がタイ人妻を散弾銃で撃ち逮捕」
まず、驚いたワードが散弾銃。そんなもん、なんで持ってんの?テスコにもファミマにも売ってないよ。
しかも散弾銃で撃った場所がバンコクの住宅街。迷惑!!
さらに「妻は顔や腹などを撃たれ、病院で手術を受ける重傷を負ったが命に別状はない」って、頑丈な妻ですこと!!
逮捕された日本人の夫は「あいつは人間じゃない」と語っていましたが、そうでしょうね、散弾銃で撃たれても死にやしないんだから。

この事件の背景を振り返ります。
登場人物は、夫である日本人男性69歳とタイ人妻71歳。ええ、お察しの通り、やんちゃな老人たちが大暴れです。

この夫、タイ人女性と結婚したのは25年前。出会いは日本でした。今の年齢から25を引けば良いんだよね。男が44歳で女が46歳、私が39歳だから、おぉーまだまだチャンスあるじゃん。ええと、当時、男は関東で工場を経営しており羽振りが良く、妻のためにバンコク市内に一戸建てやマンションを買い与え、日本とタイを行き来する生活を送っていたと言います。バブルが崩壊する直前のことかねー。バブルは1991年に崩壊したので、ちょうど25年前です。

日本で仕事をリタイアした夫がバンコクに移住して来たのは、およそ6年前。
しかし、次第に生活は苦しくなり、妻に買い与えた家やマンションを分けてくれるように頼みます。ところが、既に夫婦関係は冷え切っており、妻は譲渡を拒否。夫は取り戻すために裁判まで起こしましたが、全ての名義が妻だったため敗訴。タイに限らず、多くの国では自国民の言い分の方が通りやすいと言われています。

そもそも、あげたものを今さら返せって…。
私は物を貰うとすぐに食べちゃうし、夏のボーナスも使っちゃったし、今さら返せって言われても困るっつーの。

事件当日も「話し合いのために妻の元へ向かったが、相手にされず逆上して犯行に及んだ」と報じられています。話し合うって言うか、脅すためでしょうね。話し合いに散弾銃なんて持って行かないもん、普通。

この男性に限らず、タイの女性に騙された!と言う話は(又聞きの又聞きで)聞きますが、そもそも恋愛なんて騙し合い。経験少ないくせに、うけるー!とか言われそうですが、そんなもんでしょうよ。女は好きなフリをしたのかもしれないけれど、男も金があるフリをしただろうに。金があるフリをしたから、女は好きなフリをしたのかもしれないし。
「貧乏でも好き」って言うなら好きなんだろうけど、そうじゃなかったら、ある程度、自分のステータスとかさ、自分が暮らしていけるように…とかさ、それはタイがどうのこうのじゃないと思うんですよね。日本より物価が安いから、小金持ちでも大金持ちみたく振る舞えるし。

行き大名の帰り乞食。
貢いで一文無しになった人もいれば、安さで感覚がおかしくなって気付いた時には使い果たしてしまった人もいるらしく、帰りの航空券さえ買えず、路上で物乞いをする日本人もいると聞きます。見たことないけどね。でも、いるでしょうね。航空券代だけ持っていても、どうしようもないし。

乞食になることもイヤ、欲を言えば大名生活に戻りたい。
過去を諦められなくて、殺人未遂を犯してしまった男性。インタビューを見ましたが、捕まっても半笑いで「(動機は)復讐」と断言していました。自分で撒いた種なのに、復讐って…。違いますよ、使い方が。69歳にもなって!!

乞食、そして犯罪者。
どちらも悲しい結末ですが、そうならないためにも、他人に見栄を張らないことが一番だと思います。
ちなみに私は「行き平民の帰り平民」でタイ生活を終えそうです。

★──────────────────────────────────

| “サワディーカプ雄のタイ移住日記” の一覧はこちら       
| 

★───────────────────────

金があるフリをする相手もいないなんて、それもどうなのーー。